2017年




ーーー12/5−−− ラーメン屋の没落


 
年に何度か食べに行く蕎麦屋がある。蕎麦屋だがラーメンもあるし、丼ものもある。いずれもとても美味い。ショッピングセンターの敷地の隅にある、小さな店なのだが、味も良いし、雰囲気も良い。昼食時を過ぎても、常連客とおぼしき人たちで賑わっている。ある時、その常連客が言った「この店の蕎麦は、この辺りのどの蕎麦屋より美味い」

 私は、この店を知った当初は蕎麦を注文したが、その後はラーメンを頼むようになった。東京風の、シンプルな、これと言った特徴はないラーメンだが、十分に満足できるシロモノだった。他のメニューも美味しいのだが、食券販売機の前に立つと、ついラーメンのボタンを押してしまうのだった。

 と言うのは、以前の話である。最近は味がグッと落ちた。

 あるとき、いつも通りラーメンを注文した。チャーシューの芯が冷たかった。冷蔵庫から出して、そのまま載せたのだと思った。それまではそんな事は一度も無かった。しかしその時は、たまたま間違えたのだろうと思った。店を信頼していたからである。

 数ヵ月後にまた行った。やはりチャーシューが冷たかった。それに加えて、新たな欠点が見付かった。全体がぬるいのである。ラーメンはフーフーやりながら食べなければ美味しくないが、その必要が無いくらいぬるかった。さらに、具の盛り付けが雑だった。盛り付けというものは、上手くできているときは気が付かないが、雑に盛られていると妙に気に触るものである。それだけで、不味そうに見えるくらいだ。

 総じて、以前とは別物のように、出来の悪いラーメンだった。しかし、それでも、たまたま何かの理由でそうなったのだろうと、勝手に解釈をした。同じ店で、料理のレベルがそんなに激しく変わるとは、思えなかったのである。

 また数ヵ月後に行ったら、やはりラーメンはダメだった。そして、客がめっきり少なくなっていた。何故こんなことになってしまったのか? 少し前から気が付いていたのだが、以前いた感じの良い料理人のおじさんを、最近は見なくなった。たまたま非番だったのか、それとも辞めてしまったのか。現在働いている、おじさんより若い男性も、感じは良い。しかし、感じが良いのと、味が良いのとは、リンクしていなくても不思議はない。

 残念だが、もうあの店には行くことは無いだろう。気が付いた事を指摘してあげた方が良かったかとも思う。しかし、我が家は単なる客であり、そこまでするような関係でもなかった。

 恐ろしい事である。店主が気付かぬうちに、味が落ちている。客は、不味いものに金をかけたくないから、来なくなる。客足が遠のいた理由を、店の人は分からない。首をかしげているうちに、没落していくのである。

 昔東京に、小さいけれど評判のラーメン屋があった。いつ行っても、客が溢れていて、並んで待たなければ入れないほど人気があった。そのラーメン屋の記事を雑誌で読んだ。成功の秘訣を聞かれた時、店主はこう答えたそうである「何か一つでいいから、昨日より今日の方が良くなるように心がけています」。それはラーメンの味だけではない。店内の整理整頓から接客の仕方まで、全般にわたって、「少しでも良く」ということを常に気にかけているということであった。

 人生もそうありたいものだと思う。しかし、とかく自分本位で的外れなのが人間である。いつのまにか人間としての味を落としていて、しかもそれに気が付いていないということが、ありはしないだろうか。失望した客は、何も言わずに、ただ去っていく。




ーーー12/12−−− 天井扇撤去


 我が家を建築した当初から、居間には天井扇が設置されていた。父の好みで取り付けられた物だったと思う。天井扇という、一般家庭では馴染みの薄かった器具をあえて採用した背景には、父の何がしかの思い出があったのかも知れない。

 天井扇といえば、私自身にも思い出がある。会社勤めをしていた頃、インドに出張をした。地方の安い宿に泊まり、ベッドに横になると、真上に天井扇があった。大きなプロペラがグオーングオーンと回っていた。回りながら軸がユラユラと揺れていて、壊れて落ちそうな気配だった。回ったまま落ちてきたら怖い、と思った記憶がある。

 さて、我が家の天井扇は、白い塗装の金属製で、どう見てもオシャレな品物では無かった。事務所や作業場で使うような仕様だった。私はそれが気に入らなかった。

 機能としても、さほど必要性を感じない物だった。夏場に回しても、別に涼を感じるわけではない。冬場に回しても、天井付近の暖かい空気を下に吹き降ろすという効果が、さほど感じられたわけでもない。回転速度は二段階になっていたが、速い方はまず論外。遅い方でも、結構なスピードで回るので、落ち着かない。結局、ほとんど全く使われずに、ただ天井からぶら下がっていた。その姿が、とても無粋に感じられた。

 この天井扇を撤去しようという考えは、これまで再三頭に浮かんだ。しかしその作業をするには、天井裏に入らなければならない。そこは、夏は暑くてとても入る気がしない。冬は入ったことが無いが、たぶん寒いだろう。というわけで、なかなか実行に移す機会が無かった。

 秋も終わりに近付いたある日、急に思い立って、撤去作業に踏み切った。押入れの天井を開けて、屋根裏に入った。屋根裏は一種異様な雰囲気があり、ちょっとスリリングである。梁伝いに移動するのだが、入り組んでいて通過し難い所がある。移動をスムーズにさせるために、ツーバイの角材で良いから、一本持参すると便利である。それを梁に渡して、足がかりにするのである。ところで、梁にはホゾ穴が開けっ放しになっていたりして面白い。たぶん大工が間違えた跡だろう。

 天井扇の取り付け部にたどり着いた。まず配線を切断して、その末端を処理する。それから固定ボルトを外し、下でスタンバイしている家内に号令をかけて、引き降ろして貰った。居間に戻り、軸が貫通していた穴を塞いで作業完了。

 目障りな物体が無くなり、天井の辺りが何ともスッキリした。板張りの天井の木目の美しさも、グッと引き立つように感じられた。

 頭上にある物は、常時目に入ることは無くても、いわば無意識のうちに圧迫感を与える。上方の空間というものは、スッキリとして心地良い状態にあることが大切なのだと、あらためて気付かされた。

 この記事を書きながら窓の外を眺めたら、いつも通り、敷地の隅に立つ電柱と、それに繋がって前後左右に展開するいく筋もの電線が見えた。電柱の上には、トランス、開閉器、腕木、碍子などがゴチャゴチャと固まって付いている。これらの物体も、生活に必要なものではあるが、頭上を覆う憂鬱であることは間違いない。





ーーー12/19−−− チャランゴ


 この秋から、チャランゴという楽器をいじるようになった。弦楽器の一種で、ギターに似た形だが、胴はだいぶ小さい。ウクレレに近い大きさである。フォルクローレ(南米の民族音楽)に使われる楽器で、その起源はスペイン人が持ち込んだギター系楽器とのこと。

 20年近く前からケーナ(縦笛の一種、同じく南米音楽の楽器)を吹くようになり、当然ながらフォルクローレにも親しむようになった。チャランゴは、フォルクローレの合奏には必ずと言って良いほど登場する楽器である。しかし、チャランゴに関心を持つ事は無かった。逆に、あまり良い印象を抱いて無かった。音色や奏法ではなく、チャランゴの形が好きでは無かったのである。胴に比べてネックの部分、特にヘッドが大きくて、形のバランスが悪く、楽器としての美しさに欠けるように思われた。

 今年は夏に、バンドに参加してケーナの演奏をした。久しぶりに真面目に練習をしたりして、フォルクローレに対する関心がよみがえった。それが何らかの引き金となったようである。チャランゴをやってみようか、という気持ちになった。

 長野市に、行きつけのライブハウスがある。オーナーは自らフォルクローレの演奏家で、ケーナ、チャランゴをはじめとして、いろいろな楽器を演奏する。演奏のレッスンも行っている。その店へ出かけて、オーナーに相談をした。

 それまで、チャランゴを触ったことも無かった。この楽器と相性が合うかどうかが気にかかるところであった。私はこれまで、いろいろな楽器に手を出し、挫折するという経験を重ねてきた。ピアノ、ギター、フルート、アイリッシュハープ、バウロン、尺八など、他にもやったが、今でも続いているのはケーナぐらいである。その経験から、楽器には相性があるという結論に達した。

 相性にはいろいろな要素がある。音色の好みはもちろんのこと、演奏の難易度、音量、体との馴染み、重さ、大きさ、維持管理のし易さ、練習環境の制約、等々いろいろある。これらが自分にピッタリ来ないと、取り組んでも長続きしない。はたしてチャランゴは相性が合うだろうか?

 そのことをオーナーに相談すると、一通りの演奏方法を説明した後、楽器を貸してくれた。一ヶ月程度の間、自宅で弾いてみて、気に入ったら続ければ良いし、自分には合わないと感じたら、止めれば良いと。

 借りた楽器を、毎日のように手に取って、弾いてみた。一番心配したのは、左手の押えである。ギターの時は、これが上手くできなくて挫折した。チャランゴは、ギターと比べるとネックが細いので、弦を押え易い。また弦長が短いので、フレットの間隔も狭い。従って、コードを押えるのが格段にラクである。また、楽器の大きさが小さめなので、持ち運びに便利である。音量は、大き過ぎず、小さくも無い。これはやって行けそうだという感触を得た。

 一ヵ月後に二度目のレッスンを受けた。その時に借りた楽器を返し、自分用の楽器を購入した。オーナーが南米へ出掛けた際に買って帰った楽器のうちの一本である。価格は6万円だったが、演奏会でも使えるグレードの楽器としては、高いほうではない。この点でも相性が良かった。

 マイ・チャランゴを手に入れて、練習に熱が入った。レッスンは、月に一回ということで設定された。週に一回くらいの頻度で受けられれば理想的だが、金にも時間にも制約があるので、そうも行かない。月に一回でも大丈夫だと言われたので、そのようにした。ともあれ、楽器は教わることが大切である。自己流では、なかなか奥まで入れない。それに、レッスンを受けるとなれば、練習にも身が入る。つまりモチベーションが維持できるのである。

 練習とレッスンを繰り返すうち、次第にこの楽器の魅力を深く感じるようになった。要するに、ハマッてしまったのである。チャランゴは、ギターと同じように、メロディーも奏でられるし、コード(和音)で伴奏もできる。その奏法としていろいろなバリエーションがあり、まるで打楽器のように(と先生は言われる)、明快なリズムを刻むことができる。弦はマンドリンのように複弦なので、音色が華やかであり、また哀愁を帯びたりもする。ひとことで言えば、多彩な表現が可能な楽器なのである。そして、コンパクトであることも、大きなメリットである。部屋の隅に置いて邪魔にならないし、すぐ手に取って練習ができる。車に積んで出かけ、車の中で景色を眺めながら弾くこともやってみて楽しかった。

 この歳になって、新しい楽器に取り組むなどということは、少し前には想像だにしなかったことである。何事も、新たに出来るようになるというのは楽しいものだが、楽器は表現に関わるものなので、上達に伴う楽しさには格別のものがある。また、演奏を通じて、同好の士の繋がりができ、世界が広がりそうな予感がして、楽しみである。




ーーー12/26−−− 今年を振り返って


 年末のマルタケ雑記は、一年の振り返りである。と思いつつ過去の状況を調べたら、昨年は普通の記事だった。この10年間で、一年の総括をしなかった年末最後のマルタケは三回あった。何が原因かは分からないが、まあ気まぐれであろう。取り立てて書くほどの出来事が無かった、ということもなかろうが。

 今年は少々書き残すことがある。

 まず仕事関係。定番品の注文はほとんど無く、代わりに大物家具や特殊な家具などの製作に携わった。いずれもこれまでに経験したことが無い構造の家具で、製作手段の検討から入るような仕事。大変ではあったが、創作家具の看板を掲げている我が工房としては、他では出来ない仕事をこなすのは、やり甲斐のあることである。

 趣味の登山は、わずか二回と回数は少なかったが、一つは蝶ケ岳→常念岳三角コースを日帰りで、もう一つは鹿島槍ヶ岳を同じく日帰りという、私にとってはチャレンジ色の濃い山行をやり遂げることが出来た。

 登山のためのトレーニングと、心身のリフレッシュを兼ねての裏山登りは、2012年に樹立した年間100回の記録を更新し、現在108回となっている。冬場は積雪のために登れない日が多いので、実質的に4月から11月がシーズンである。その8ヶ月の間に96回登ったのだから、三日に一回のペースということになる。ちなみに107回を越えた時点で、エベレストの標高の3倍を上下した勘定となった。

 音楽では、久しぶりにバンドに参加してケーナを演奏した。それで弾みがついて、チャランゴを手掛けるようになった。また教会の聖歌隊に加わり、練習を重ねた。クリスマスには、施設6ヶ所、個人宅3ヶ所へ、キャロリング(出前演奏)を行った。長い間聴くだけになっていた音楽の趣味が、自ら人前で演じるほうへ転じてきた。

 春に体調の不安を覚え、病院で精密検査を受けた。結果は異常無しだったが、それをきっかけにして、日々の健康について考えることになった。とりあえず、40年来続いていた飲酒癖に変化が現れた。自分で酒量を制限するようになったのである。そのおかげで、体重が5キロほど減った。見た目にもスッキリし、体の動きも良くなった。

 とまあ、こんな感じの一年だった。いろいろな方々との交流の中で、励まされ、力付けられて、充実した日々を送ることが出来た。また新しい出会いにも恵まれた。それら全てのことに、感謝をしたい。

 今年も週間マルタケ雑記をお読み頂き、有難うございました。来年もよろしくお願い申し上げます。

 良いお年をお迎え下さい。

 





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